先日六本木、俳優座劇場にて、サインアートプロジェクト.アジアン
企画・制作の手話×朗読「ヴァギナ モノローグス」という芝居を
観に行ってきました。以下の感想文は当初関係者の方々のみに
送らせていただいておりましたが、自分のブログでも公開することを
お許しをいただいたので掲載したいと思います。
ひとつご理解いただきたいのは否定はしていない、ということと
一観客の感想ということです。
そしてお世辞抜きに舞台は本当に素晴らしかったということは本音です。
あと、もし実際に舞台をごらんになられた方、そして私がこのように
発した感想の言葉、これについて意見やまたご指摘、そのほか
何でもございましたら受け止めて、ディスカッションしたいと
思っております。
自分の発した言葉には責任を持ってお答えしたいと思いますので
どうかご遠慮なしにご意見などお待ちいたしております。
(いたずら、誹謗中傷は除きます)
あと、内容ですが禁止用語も含まれておりますし
セックスについてのことも書かれています。
中にはそういう文章を読むことを嫌う方もいらっしゃいますが
あくまで舞台のことをそしてそのテーマについての感想ですので
そこはどうかご理解ください。
メールでも結構ですしここに書き込みされても大丈夫です。
メールの場合は
tetsuroh2003■yahoo.co.jpになります。
まず最初にそのことをお伝えしておきます。
よろしくお願いいたします。
以下本文:(関係者に送ったメールの内容そのままです)
「ヴァギナ・モノローグス」制作、出演、またこの芝居をごらんになられた知人の方々へ。
まず、公演が完全に終了してから送信すべきか悩みましたがやはりまずは送信させてください。
読むのは公演が終わって落ち着いてからのほうがよいかと思います。
そして出演者の皆様、演出や企画制作のスタッフの方々までお読みいただき
何か反応があれば私もとてもうれしいです。皆様それぞれの思いや考えていることなど
きかせていただけたらと思います。
公演お疲れ様でした。ひょんなきっかけからこの公演を応援させていただくことになって
様々なことが頭の中を駆け巡っておりましたが、公演を観ることができて本当によかった、
観終わったあとにそういう気持ちになりました。ありがとうございます。
以下、まったくの私見ではありますが感想を述べさせてください。
生意気なことも書きますが感想ということで受け止めていただけたらと思います。
よろしくお願いいたします。
■会場と空間のバランス
俳優座劇場という空間は初めてでしたが会場の広さ、そして役者とお客様との距離、
とてもちょうどいいサイズだったと思います。多少天井の高さがありすぎて
役者さんが表現していくのに少々つらいだろうなぁと思っておりましたが
力のある演技が会場の空間を揺らせていたと感じました。
舞台の見せ方として感じたのはお客様は役者に目がいきますが実際はステージという空間を
感じています。天井の高さ、要は吊りものの小道具で舞台を小さめに見せるようにした上で
(役者のサイズに舞台をあわせる)演技したらもっと力まずにすんだかもしれないとも
思いました。ですが、途中全体で動きがあったりTutti(全体の動き)があるときは
そのままのステージのサイズで舞台がちょうどよく見えたので実際に更に多く吊りものをさげた場合
逆にアンバランスとなってしまっていたかもしれません。
ステージと役者とのバランス、サイズというのはとても「みせる」という部分で重要ですね。
バランスという面においては音楽と役者の発声とのバランス、ここが少し残念でした。
もし音楽をスピーカーから流すのであるならば、役者の発声、せりふもマイクをつけて
スピーカーから出したほうが空間としては一体感が出ると思います。空間が引き締まります。
もちろん発声まで気にかけてらっしゃるのが役者ですから生の声で演じたい気持ちはよくわかりますが
舞台全体としては音の出所はひとつに絞る、このほうが空間は引き締まると思います。
もっと狭いステージ、客席の場合はまた別です。
あと音楽についてですがステージ後ろのスピーカーから出したのは正解ですね。
ただ、残念なのはもともとの音源のイコライジング、マスタリングの問題か、
それとも会場PAの問題かはわかりませんが、やたらと中音域が強調されてて
低音域がぼやけていました。ほんのちょっとのイコライジング(周波数帯域を変えること)で
音はもっと改良されると思いました。あと、音楽のダイナミクスレンジと役者の声量の差が
とても気になりました。役者さんの声量にあわせた音楽の音量のバランスはちょうどよいのですが
音楽だけになったとき音楽の音量が大きすぎました、その差のことをさします。
音というのは視覚を奪ってしまうほど強い存在なのでそのコントロールはとても大切です。
話は変わりますが、以前音楽大学のミュージカルコースの公演を観にいったとき
歌はよくてもセリフを発声するときにセリフのアクセントで音程がかわるのですが
音程によって発音がききとりにくかったりする、というのを聴いてて感じたことがありました。
そのことにもすこし類似しているように感じました。
細かいところですがそういう部分を考えても役者の声もマイクで拾って音楽と一緒に
ミキシングする、ということはとても大切だと感じました。
■舞台、公演の流れなど。
始まり方がとてもかわいらしさを感じましたしフェードインしてくる様がとても自然で
すばらしかったです。こういう部分は無頓着になりがちなミュージシャンに
必要な技術でありスキルであるのではと自分自身勉強になりました。
上記の部分以外では舞台は確かに周波数を超えていました。セリフと手話の
一体感、一見ばらばらに動いているようで絶妙なバランスで空間を作っていた部分、
私が音楽、ライブ、または即興演奏においても必要であると叫んでいた部分が
とてもよく感じられて心地よかったです。
「言葉映像?」を使った部分とか本当に見事でした。すばらしかったです。
あえぎ声の種類のところはちょっとやりすぎかなぁと、そのぶんオブラートに包まれて
しまってテレがあるのかな?とも感じてしまいましたが、でもすばらしかったです。
役者さん皆さんとても素晴らしい演技でした。
編み物をし続ける行為については女性というものの象徴としてそういう演出だったのかもしれないですが
どこか現代とかけ離れているようにも感じました。本(原作)は前時代であっても公演は今現在なので
何かほかの見せ方があってもよかったかもしれません。ただ、観てる側としては違和感はなく
目立たないけど面白さというものは感じることができました。
モノローグということでしたが「全体構成」としてのコンテンツの挿入の仕方、タイミング、
こちらも本当に素晴らしかったです。
いろいろ書きましたが舞台としては本当に素晴らしかったです。とてもいい勉強になりました。
ありがとうございます。
■テーマ
ある種の先入観を持ってこの公演を観るつもりでした。でもその先入観は私の間違いで
あることが実際公演をみて気づかされました。
その先入観とは、「今現在の日本においてヴァギナをテーマにしなければならなかった理由」です。
それを公演の中から見出そう、そのつもりでした。要は話題だから?
ぎょっとするテーマだから?ということなのでは?と思っていました。
そうではないことは伝わってきました、が、また別の疑問がわきあがってきました。
取り上げているモノローグの内容がとても、なんていうのでしょうか?フェミニスト寄り
というか男性蔑視のような気がしてなりませんでした。
舞台にも力はありましたが女性は虐げられている!立ち上がれ!みたいな
「力み」が公演全体から、役者の熱の入り方からも匂いたっていました。
それはある意味自己満足、この場合「女性満足?」のようにも感じました。
会場のお客様に「オマンコ」と言わせるシーンは演じる側のエゴを感じました。
公演とは表現者が社会に訴えかけることができる時空です。
社会に根ざすことを目的としていますでしょうしそうあるべきです。
そしてそこには社会的責任も発生します。
男性が公演を観たらきっと「そんなに男ってひどい存在かなぁ」と疑問に思うかもしれません。
下手をすると男性蔑視を社会に根ざしかねないという気がしました。
確かに性暴力の犠牲者は女性です。ですが、男女ではなくひとつの人間、人類と
考えたらこういう偏りにはならなかったはずだと思います。
そこがとても残念でした。
ゲストトークの尾辻さんの話の中でも
「男は挿入して射精して終わり」みたいなことを仰ってましたが
そんな男性ばかりではないと思います。
男性のための俗なセックス指南本にはなんて書かれているかご存知ですか?
「男は我慢」です。男性だってナイーブですよ。精神的な部分でEDになっている人も多いです。
では、カミングアウトしましょうか?僕だって以前EDに悩んだ時期ありましたよ。
いろんな性癖はあるにしても、どうしたら感じてくれるかな、
どうしたら気持ちよくオーガズムに導けるかな?
愛してる人に対してそういう思いは男性はあると思います。
もちろん身勝手な男もいるから犯罪がおきてしまうのでしょうけど。
確かに女性スタッフだけでの運営ですとそういう方向に向かってしまうでしょうし
逆に男女ではなく人間、という見方で芝居を作れば焦点はぼやけて
つまらなくなる、そこはとても難しいと思います。
偏りがあるからこそ絞り込まれて面白いというのはとてもよくわかります。
音楽アルバムを制作するのも同じスタンスですから。
ですが、男性女性とも人間です。そしてその公演を観るのも人間です。
とても難しいと思いますがせめて少し男性にも救いがほしかった、
というのが正直なところです。これが公演、「公」でなければ
偏っていていいのですが、先ほども申し上げましたように
公演は社会に与える影響が大きい、そのことを考えると
やっぱりヴァギナというテーマはとても難しいお題だったのではと思うとともに
男性としてはちょっと残念な気持ちでした。
ですが、この難しいお題に果敢に取り組んだことはとてもいいことだと思います。
そして舞台、本当に素晴らしかったです。これは本音です。
この感想をお読みになって観客として公演を観た方も出演者やスタッフの方々からも
様々なご意見をいただきたいと思っています。
ぜひご意見くださいませ、よろしくお願いいたします。
何はともあれ、本当にお疲れ様でした。
ありがとうございました。
小西徹郎
2009年8月23日
以上です。
2009年08月25日
2009年08月07日
Utopian Vacation Vol.1〜東京と仙台を結ぶ音の小旅行〜
9月4日仙台です!
スペシャルな方々とご一緒できることはこの上ない喜びです!
Utopian Vacation Vol.1 ということで回を重ねて進んでいきたいと
思います!素晴らしい音楽家の方々とのライブ!
がんばっていきます!
***LIVE INFO***
Utopian Vacation Vol.1
2009/09/04(金)
仙台 サテンドール2000 http://satindoll2000.com/
------------------------------------------------------------
■Firo(フィロ)
電子音楽レーベル「涼音堂茶舗」の伝説的コンピレーション『Water Green』(2003)への参加を皮切りに、同年1stアルバム『paddle』を発表。収録曲「SwNH」はTBSテレビ「THE世界遺産」のBGM にも採用され、天才的新人としての評価を不動のものとする。2005年に2ndアルバム『Light court』、2006年には3rdアルバム『Velvet tiny globe』を発売、内外から高い評価を受ける。また「報道ステーション」ほか報道系を中心に各種テレビ番組のBGMも数多く制作。今最も注目される空間系電子音楽アーティストの一人。
涼音堂茶舗
http://www.ryoondo-tea.jp/artist/firo.html
MySpace
http://www.myspace.com/firofiro
------------------------------------
■yukki [from Coupie]
瓦職人の家に生まれ家業と循環型農の勉強とアーティスト活動を平行して行う。
百姓にあこがれて日々精進中。究極的な自然の音を探求して
コンテンポラリーダンサーや、 絵画、詩人と
さまざまなアーティストとコラボレートしている。
ギターやディジュリドゥ、声など様々な演奏をする。
どういう音が鳴るかは音を鳴らすまで本人も知らない。
またCoupieというユニットで活動をしていて
2009年に涼音堂茶舗より1st Album「La Melodioj de la Orientonordo」をリリース。
yukki
http://soundyukki.exblog.jp/
MySpace
http://www.myspace.com/yukkiworks
Coupie
http://www.ryoondo-tea.jp/artist/coupie.html
MySpace
http://www.myspace.com/coupiecoupie
------------------------------------
■Echolocation
世界を駆け巡るトランペットプレーヤーTetsuroh Konishi とトラックメーカー
massa takemotoによる ラウンジ感溢れるアンビエント・ミュージック・プロジェクト(ユニット)。
ほぼ、骨組みだけのリズムトラックにTetsuroh Konishiの空間演出的なトランペットと
massa takemotoのベースプレイによってその音楽は成り立っている。
確信犯的にトラックを作りこまないことによって生まれるライブでの化学反応はその空間の雰囲気を瞬時につくり、旅をする音は変幻自在。きっと貴方を不思議な世界に連れて行ってくれることでしょう。
http://www.myspace.com/echolocationsystem
--------------------------------
■jai
Max/MSP愛好家。作曲家 三輪眞弘氏提唱の逆シミュレーション音楽における規則
「蛇居拳算」の考案者。
1990年代後半より音楽開発環境Max/MSPを用いコンピューターが自動的に生成する音楽「作家性の無い音楽」を模索。
最近は改造したおもちゃや民俗楽器のようなそうではないような楽器などをリアルタイムにサンプリング、合成などをアルゴリズムで生成するスタイルが主。この他、足立智美氏企画の音楽の複数次元2008〜ケージとウォルフ〜vol.2『音楽と集団、クリスチャン・ウォルフ』参加、マルチスピーカーオーケストラ、アクースモニウムによるコンサート“Contemporary Computer Music Concert2009”入選など地味に幅広く活動。
ブログ
http://www.astrolabel.net/wp/
myspace
http://www.myspace.com/com4jai/
-----------------------------------
■ junATjun (Une personne jaune---黄色の人)
x0001x101-x01-10x-100x----1x1x1x1010x010
00x10x0010x010x1o--1-x1o1i1-1xo1101xxxxx
MySpace
ソロ
http://www.myspace.com/maruklang
バンド
http://www.myspace.com/kiironohito
-------------------------------------
スペシャルな方々とご一緒できることはこの上ない喜びです!
Utopian Vacation Vol.1 ということで回を重ねて進んでいきたいと
思います!素晴らしい音楽家の方々とのライブ!
がんばっていきます!
***LIVE INFO***
Utopian Vacation Vol.1
2009/09/04(金)
仙台 サテンドール2000 http://satindoll2000.com/
------------------------------------------------------------
■Firo(フィロ)
電子音楽レーベル「涼音堂茶舗」の伝説的コンピレーション『Water Green』(2003)への参加を皮切りに、同年1stアルバム『paddle』を発表。収録曲「SwNH」はTBSテレビ「THE世界遺産」のBGM にも採用され、天才的新人としての評価を不動のものとする。2005年に2ndアルバム『Light court』、2006年には3rdアルバム『Velvet tiny globe』を発売、内外から高い評価を受ける。また「報道ステーション」ほか報道系を中心に各種テレビ番組のBGMも数多く制作。今最も注目される空間系電子音楽アーティストの一人。
涼音堂茶舗
http://www.ryoondo-tea.jp/artist/firo.html
MySpace
http://www.myspace.com/firofiro
------------------------------------
■yukki [from Coupie]
瓦職人の家に生まれ家業と循環型農の勉強とアーティスト活動を平行して行う。
百姓にあこがれて日々精進中。究極的な自然の音を探求して
コンテンポラリーダンサーや、 絵画、詩人と
さまざまなアーティストとコラボレートしている。
ギターやディジュリドゥ、声など様々な演奏をする。
どういう音が鳴るかは音を鳴らすまで本人も知らない。
またCoupieというユニットで活動をしていて
2009年に涼音堂茶舗より1st Album「La Melodioj de la Orientonordo」をリリース。
yukki
http://soundyukki.exblog.jp/
MySpace
http://www.myspace.com/yukkiworks
Coupie
http://www.ryoondo-tea.jp/artist/coupie.html
MySpace
http://www.myspace.com/coupiecoupie
------------------------------------
■Echolocation
世界を駆け巡るトランペットプレーヤーTetsuroh Konishi とトラックメーカー
massa takemotoによる ラウンジ感溢れるアンビエント・ミュージック・プロジェクト(ユニット)。
ほぼ、骨組みだけのリズムトラックにTetsuroh Konishiの空間演出的なトランペットと
massa takemotoのベースプレイによってその音楽は成り立っている。
確信犯的にトラックを作りこまないことによって生まれるライブでの化学反応はその空間の雰囲気を瞬時につくり、旅をする音は変幻自在。きっと貴方を不思議な世界に連れて行ってくれることでしょう。
http://www.myspace.com/echolocationsystem
--------------------------------
■jai
Max/MSP愛好家。作曲家 三輪眞弘氏提唱の逆シミュレーション音楽における規則
「蛇居拳算」の考案者。
1990年代後半より音楽開発環境Max/MSPを用いコンピューターが自動的に生成する音楽「作家性の無い音楽」を模索。
最近は改造したおもちゃや民俗楽器のようなそうではないような楽器などをリアルタイムにサンプリング、合成などをアルゴリズムで生成するスタイルが主。この他、足立智美氏企画の音楽の複数次元2008〜ケージとウォルフ〜vol.2『音楽と集団、クリスチャン・ウォルフ』参加、マルチスピーカーオーケストラ、アクースモニウムによるコンサート“Contemporary Computer Music Concert2009”入選など地味に幅広く活動。
ブログ
http://www.astrolabel.net/wp/
myspace
http://www.myspace.com/com4jai/
-----------------------------------
■ junATjun (Une personne jaune---黄色の人)
x0001x101-x01-10x-100x----1x1x1x1010x010
00x10x0010x010x1o--1-x1o1i1-1xo1101xxxxx
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ソロ
http://www.myspace.com/maruklang
バンド
http://www.myspace.com/kiironohito
-------------------------------------
2009年07月31日
昨日のライブレビューです。
7月30日(水)川染喜弘presents 武蔵小金井art land ライブレビュー
川染喜弘さんオーガナイズのこのイベント、オファーを受けたのは
じゅんじゅんさんでした。「黄色の人」は海外からの評価がとても高い。
今回、国内で4つオファーをいただき、その中のひとつ、このイベント
に出演を決定したとのこと。きちんと手順を踏んだオーガナイズ、
このことが出演決定の理由とのこと。
昔のアートランドはどうも暗いイメージだった。音もよくなかった。
だが、今回何年かぶりに訪れてPAが変わっていたのに驚いた。
照明はやはりまだ乏しいところであるが、小さなイベントをやるのには
程よい感じになっていた。
会場と客席の境界線がないことが心配だったのだが
オーガナイザーの川染さんはきちんとマットを敷いて椅子を並べて
客席とステージの体を表現していた。
プロジェクターやスクリーンもきちんと装備されていて映画の上映に
もたえうる。
ステージに置かれたラップトップ用のテーブルが少し大きすぎる感じがした。
そして目隠し用の黒い布があればなおよかったかもしれない。
お手洗いの場所がステージ横のためここがちょっと残念。
入り口には客席と通路の目印になるように布が天井から下げられていて
これは劇場感が出てよかったと思う。
♪ライブについて♪
■川染喜弘
いきなりこういうパフォーマンスでくるとはまったく予測して
いなかったため、かなり驚いた。電子音楽、ノイズのイベント
という認識とは違うアプローチ。実際の「表現」そのものについては
まだまだかなり改善の余地がある。見せ方や、道具のセッティング場所
また「雑多感」のうまい見せ方、出し方、これによって
更に見栄えが変わってくるとともにより伝わりやすいものに
なるのではと思う。ただし、やりすぎると演劇やお笑いくさく
なってしまうので、そこは要注意だと思う。
もし、彼のパフォーマンスがもっと演劇やお笑い寄りだったら
表現行為そのものに意味や価値を持たなくなってしまいそうなので
そのさじ加減が重要だと感じた。そして彼が言いたかったことが
伝わりにくくなってしまう。
lofiであることを彼は自身のバイオグラフィにおいても強調していた。
私はlofi?もしかして逃げなのか?と先入観を持っていた。
だが、彼の表現行為から生まれる音はまさしく
「音」であった、このことは一番重要な鍵のひとつであったと思う。
本物のlofiなのだ。
ひとつ、衣装を少し考えたほうがよりよいかもしれない。
ただし、奇を衒わないものであることが大事なポイントであると思う。
彼の中で言いたかったこと、
「音であるという執着」
「ラップというものへの風刺、或いはアンチテーゼ」
「川染さんの生き様(なぜ東京にしがみつくのか?)」
など、
ハプニングアートの流れをくむパフォーマンスのようにも感じた。
今回、パフォーマンスそのものについては私としてはかなり辛口
ではあるけれど、川染さんの「言いたかったこと」ここには
とても大きなシンパシーを感じた。
特に
「何故10年東京にしがみついているのか?」
「何故なら東京でライブをやるためだ」、と。
私も地方出身者、都内や都内近郊に実家がある方々とは
スタートも何から何まで違う。生活、そして財産、そういうものを
築いていくのに大変な苦労があるのが地方出身者。
私も同じことを以前書いたことがあってそのことでとても
共感できた。彼は普段武蔵野美術大学で講師の仕事をされている。
その中でもやはり生活面など考えても厳しいだろうと私も感じる。
その部分では気持ちがとてもよくわかるのだ。
彼はひとつひとつのパフォーマンスを長短関係なくきちんと
「作品」という位置づけで行っている。
このことは実は非常に重要なことである。その意識がなければ
逆に言うとまったく意味を成さないからである。
約1時間のパフォーマンス、難ありではあったが私は
まったく飽きることなく見入っていた。
■次のギターの方、クレジットがなかったため名前など経歴がわかりません。
後ほど確認いたします。
ループディレイを使用した音楽であるがループのように聴かせない
ところがにくいと思った。ボリューム奏法を使いハーモニーを
積み上げていく、そしてエレキギター特有の音の手触りを
殺しつつも活かしているところも「ギター音楽」にならない
腕のよさを感じた。時間の3分の1あたりから入り始めたメロディに
初めてエレキギターとしての音色の特性を出したところにおいて
音楽的幅を感じた。
私もトランペットをトランペットトランペットした演奏をしないのと
とてもよく共通したものを感じた。
ただ、途中展開の仕方が唐突すぎたのが残念であった。
通じている音楽の要素を残しつつ移行していくことが
必要である、何故ならドローンを基調とした音楽であるからだ。
もしこれが元々ドローンではなくハーモニーの展開、力点が
はっきりしている音楽であるならば、いささか唐突すぎるくらいの
展開があってもよいとは思うが、今回のこのライブにおいては
流れを止めることによって盛り下がってしまっていたのがとても
残念であった。あと、アンプから自身で持ってきたマイクで
音を拾いPAにつなげる、このこだわりには大きく拍手を送りたい。
そういうこだわりがあの不思議な手触りのサウンドを作っているのだから。
DVDにて流されていた映像が非常にシンプルで美しかった。
■黄色の人
当初考えていたものと若干変わった「ライブの手触り」だった。
このことはやはりスタジオでのリハがない即興とトラック
であるということが原因だと思う。即興ではあっても
やはり「ライブの手触り」をリハーサルで実験することは
とても重要であると私は感じた。
トラックのクオリティ、技術は世界トップの水準であることは
当然ということを前提に話す。
当初、打ち合わせの中でトラックとトラックを切るかつなげるか?
このことを話していて私は切ったほうがいいかもと言った。
だが、実際お客様がいらっしゃる空間、そして客席とステージが
境界線はあったとしても近い。この場合、切ってしまうと
ヘッドフォンで聴いているぶんにはその意図はわかるが
お客様と空間を共有するということについて完全なる分断を
おこしてしまう。次回は切ることなくつなげた形で行ったほうが
よいであろうと思った。
じゅんじゅんさんはトラックを作ってそれを流すのではなく
実際にその場でコントロールしている。
その効果を活かしたステージ空間を作るためには?
どのように見せていくか?これが課題だと思った。
じゅんじゅんさんのトラックは細部にわたり
私が演奏に入ることを繊細に気にかけていただいていること。
このことは本当にありがたいことなのである。
コラボレーションにおいて一番大事な「リスペクト」を
音や音楽から感じることができた。そのことに大いなる感謝である。
トランペットについて。
今回は私自身ノリノリでありながらも冷静だった。
針金マイクにして正解だった。動きの自由度が増えてよかった。
あと演奏しないときステージサイドにいるのだが、そのとき
もし今回のようにお客様の目に触れるのであるならば
もっと佇み方にも気を配らねばと思った。
あと、私は演奏中タオルが必需品なのだが、黒に統一
したのならタオルも黒がいいと。今度探しに行く予定。
演奏面について。
言い訳のようだが、髪の毛が口の中に入り唇の振動を妨げる。
途中音を完全に外したのが4回、4回もあった。
プロ失格である。ライブもレコーディングもほぼ同じテンションで
やっているが、普段のトレーニングやテンションの持って行き方も
含めてイコールとなっていくように、そして、基本、ライブ感を
失わないようにしていかなくてはならない。
そうなっていかないと、「即興演奏家」の看板は下げなくては
ならないだろう。ベースとして「変わらぬクオリティ」これが重要だ。こんなことは当たり前であるが・・・
前回エコロケーションでのライブでの反省でロングディレイの
消し方について今回のライブで実践してみた。これは実際に
リファインドではあるが音楽の体を少し変更することから入る。
そしてタイミングを見計らう。そこについてはとてもきれいに
できていたと思う。
あとディレイタイムをすこし少な目にしたのも正解。
次回においても活かされるであろう。
激痛に耐えながらでの演奏の際、やはり大事なのは
呼吸、そして息のスピードと瞬発力、ここにすべてがかかっている。
今回若干無理をしたが、だがそれでも普段のトレーニングが
とてもよく活かされていた。ジャズトランペッターのように
ハイノートを出すことができないためフレージングが命なのだが
じゅんじゅんさんのジャズノートなピアノアンビエントのおかげで
とても気持ちよくいいフレーズが自然と出てきた。
これはジュンジュンさんのハーモニーやボイシングのセンスのおかげだ。
テンションや上手い転回音程の使い方で音楽全体ががらりと変わる。
まさにそこにぴったりとはまったフレーズだったと思う。
私のトランペットの特殊奏法もマンネリ化してきている。
それはもうとっくの昔からだ。BGMの3曲目の「To Landscape」
ですべて出し切ったので、次の音色の模索をもうはじめなければならない。
そこが生命線のような気がしてならない。
黄色の人全体について。
箇条書きとする。
・トラックはつなげる
・事前にスタジオで「ライブの手触り」を確認する。
(可能な限り会場の広さ、空間、環境に近い状態で。)
・見せ方の追究
このあたりが課題だと考える。
■ryu furusawa
フレンチな和声を含んだピアノから始まった。譜面があったので
即興ではなく作曲であると判断。途中ハーモニーの展開で
少しだけ違和感を感じるところがあったが、とてもさりげない
違和感であったので狙いとみた。楽曲の流れからそれらが
エフェクトを通じて変調されていく。私は詳しくないのだが
MAXMSP/JITTERを使用しているとのこと。友人も12音列を作る際
MAXにやらせているとのこと。途中経過が記憶からなくなって
しまっているのだが、一部コンクレートのプロトタイプのような
ノイズのフレーズがあり、これがもしかしたらMAXMSP/JITTERに
よるものなのだろうか?残念ながら私にはわからなかった。
前半のVJと音楽のコンビネーションはまるで映画のような
手触りだった。私はこのあたりは個人的には好きである。
ただ、ピアノは最初からマイクの音に残響を加えたものを
出していったほうがより空間の一体感を得られると思った。
ラスト近くでノコギリテルミンを持ってきたのは正解。
「緩やかな意外性」といえばよいのだろうか、そのような
感触が言葉として残っている。
中間部分にもう少し音の変化を「見せる」だけではない
音楽的な工夫があれば更に良かったと思う。
■柳本 和宏
暗転のままでのライブ。彼の元々持ち合わせたクールさ、
これが演奏スタイル、たたずまいにも活きていると感じた。
電子機器のノイズを発生させてサンプリング、加工した作品。
だが、音(音色)の追跡をしてみると音楽的なストーリーが
きちんと存在した、単に音響ではない「音楽作品」としての体を
成していた。その裏側ではフラグメントの扱い方、そして処理、
そこからはじまり、周波数を活かした展開、構成、
コンポーザーとしての非常に高い能力を私は感じた。
音の変調や処理にも時間はかかったであろうが、
おそらく構成、コンポジションにもかなり時間と考察の跡が
感じられる。
途中私も寝そべって聴いていた。そういう心地よさは
計算であるのかもしれない。
様々な「手触り」がある音、一番重要なのはそれらの音を
いかにコンポジションしていくのか?ということを改めて
再認識させられた。
■ライブ全体と提案
ノイズであるとかポピュラーミュージックではないカテゴリーに
特化したライブ、そこにあるものが単にマニアックであるという
だけではないことが重要だと思った。出すべき場所にきちんと
持っていけること、このことが社会に浸透させることを可能とする。
例えば、ハコというのではなく、「ライブインスタレーション」
或いは「インスタレーション」という「立場」をとってみる、
など、見せ方の可能性は広がっていくと思う。
例えば大きい場所でやる場合、機材の転換をせずに演奏をつなぐ形にする。
円形に組んでお客様に向きを変えていただきながら楽しむ、
そういう空間が作れれば、単にアーティストのライブ
ではないライブトータルとしての価値が増大されて
ひとつの巨大な作品になることができる。
この類の音楽(今回のイベント)はもっとアカデミズムの中にも
浸透させたほうがよりよいチャンスに恵まれると思う。
その交渉やマネジメントも追究していくことが大切だと思った。
要は、勿体無いのである。もっと広がる可能性をもった
クオリティの高いアーティストばかりで組まれているのだから
そこを活かせる方法はないだろうか?と考える。
今回オーガナイズされた川染さん、とても丁寧な運びと
気遣い、そしてアーティストの選択、会場作りの、
お客様に対しての気配り、本当にお疲れ様でした。
その気持ちは出演者にも充分伝わっています。
このイベントが大きな場所にいけるように願っております。
以上、ライブレビューでした!
川染喜弘さんオーガナイズのこのイベント、オファーを受けたのは
じゅんじゅんさんでした。「黄色の人」は海外からの評価がとても高い。
今回、国内で4つオファーをいただき、その中のひとつ、このイベント
に出演を決定したとのこと。きちんと手順を踏んだオーガナイズ、
このことが出演決定の理由とのこと。
昔のアートランドはどうも暗いイメージだった。音もよくなかった。
だが、今回何年かぶりに訪れてPAが変わっていたのに驚いた。
照明はやはりまだ乏しいところであるが、小さなイベントをやるのには
程よい感じになっていた。
会場と客席の境界線がないことが心配だったのだが
オーガナイザーの川染さんはきちんとマットを敷いて椅子を並べて
客席とステージの体を表現していた。
プロジェクターやスクリーンもきちんと装備されていて映画の上映に
もたえうる。
ステージに置かれたラップトップ用のテーブルが少し大きすぎる感じがした。
そして目隠し用の黒い布があればなおよかったかもしれない。
お手洗いの場所がステージ横のためここがちょっと残念。
入り口には客席と通路の目印になるように布が天井から下げられていて
これは劇場感が出てよかったと思う。
♪ライブについて♪
■川染喜弘
いきなりこういうパフォーマンスでくるとはまったく予測して
いなかったため、かなり驚いた。電子音楽、ノイズのイベント
という認識とは違うアプローチ。実際の「表現」そのものについては
まだまだかなり改善の余地がある。見せ方や、道具のセッティング場所
また「雑多感」のうまい見せ方、出し方、これによって
更に見栄えが変わってくるとともにより伝わりやすいものに
なるのではと思う。ただし、やりすぎると演劇やお笑いくさく
なってしまうので、そこは要注意だと思う。
もし、彼のパフォーマンスがもっと演劇やお笑い寄りだったら
表現行為そのものに意味や価値を持たなくなってしまいそうなので
そのさじ加減が重要だと感じた。そして彼が言いたかったことが
伝わりにくくなってしまう。
lofiであることを彼は自身のバイオグラフィにおいても強調していた。
私はlofi?もしかして逃げなのか?と先入観を持っていた。
だが、彼の表現行為から生まれる音はまさしく
「音」であった、このことは一番重要な鍵のひとつであったと思う。
本物のlofiなのだ。
ひとつ、衣装を少し考えたほうがよりよいかもしれない。
ただし、奇を衒わないものであることが大事なポイントであると思う。
彼の中で言いたかったこと、
「音であるという執着」
「ラップというものへの風刺、或いはアンチテーゼ」
「川染さんの生き様(なぜ東京にしがみつくのか?)」
など、
ハプニングアートの流れをくむパフォーマンスのようにも感じた。
今回、パフォーマンスそのものについては私としてはかなり辛口
ではあるけれど、川染さんの「言いたかったこと」ここには
とても大きなシンパシーを感じた。
特に
「何故10年東京にしがみついているのか?」
「何故なら東京でライブをやるためだ」、と。
私も地方出身者、都内や都内近郊に実家がある方々とは
スタートも何から何まで違う。生活、そして財産、そういうものを
築いていくのに大変な苦労があるのが地方出身者。
私も同じことを以前書いたことがあってそのことでとても
共感できた。彼は普段武蔵野美術大学で講師の仕事をされている。
その中でもやはり生活面など考えても厳しいだろうと私も感じる。
その部分では気持ちがとてもよくわかるのだ。
彼はひとつひとつのパフォーマンスを長短関係なくきちんと
「作品」という位置づけで行っている。
このことは実は非常に重要なことである。その意識がなければ
逆に言うとまったく意味を成さないからである。
約1時間のパフォーマンス、難ありではあったが私は
まったく飽きることなく見入っていた。
■次のギターの方、クレジットがなかったため名前など経歴がわかりません。
後ほど確認いたします。
ループディレイを使用した音楽であるがループのように聴かせない
ところがにくいと思った。ボリューム奏法を使いハーモニーを
積み上げていく、そしてエレキギター特有の音の手触りを
殺しつつも活かしているところも「ギター音楽」にならない
腕のよさを感じた。時間の3分の1あたりから入り始めたメロディに
初めてエレキギターとしての音色の特性を出したところにおいて
音楽的幅を感じた。
私もトランペットをトランペットトランペットした演奏をしないのと
とてもよく共通したものを感じた。
ただ、途中展開の仕方が唐突すぎたのが残念であった。
通じている音楽の要素を残しつつ移行していくことが
必要である、何故ならドローンを基調とした音楽であるからだ。
もしこれが元々ドローンではなくハーモニーの展開、力点が
はっきりしている音楽であるならば、いささか唐突すぎるくらいの
展開があってもよいとは思うが、今回のこのライブにおいては
流れを止めることによって盛り下がってしまっていたのがとても
残念であった。あと、アンプから自身で持ってきたマイクで
音を拾いPAにつなげる、このこだわりには大きく拍手を送りたい。
そういうこだわりがあの不思議な手触りのサウンドを作っているのだから。
DVDにて流されていた映像が非常にシンプルで美しかった。
■黄色の人
当初考えていたものと若干変わった「ライブの手触り」だった。
このことはやはりスタジオでのリハがない即興とトラック
であるということが原因だと思う。即興ではあっても
やはり「ライブの手触り」をリハーサルで実験することは
とても重要であると私は感じた。
トラックのクオリティ、技術は世界トップの水準であることは
当然ということを前提に話す。
当初、打ち合わせの中でトラックとトラックを切るかつなげるか?
このことを話していて私は切ったほうがいいかもと言った。
だが、実際お客様がいらっしゃる空間、そして客席とステージが
境界線はあったとしても近い。この場合、切ってしまうと
ヘッドフォンで聴いているぶんにはその意図はわかるが
お客様と空間を共有するということについて完全なる分断を
おこしてしまう。次回は切ることなくつなげた形で行ったほうが
よいであろうと思った。
じゅんじゅんさんはトラックを作ってそれを流すのではなく
実際にその場でコントロールしている。
その効果を活かしたステージ空間を作るためには?
どのように見せていくか?これが課題だと思った。
じゅんじゅんさんのトラックは細部にわたり
私が演奏に入ることを繊細に気にかけていただいていること。
このことは本当にありがたいことなのである。
コラボレーションにおいて一番大事な「リスペクト」を
音や音楽から感じることができた。そのことに大いなる感謝である。
トランペットについて。
今回は私自身ノリノリでありながらも冷静だった。
針金マイクにして正解だった。動きの自由度が増えてよかった。
あと演奏しないときステージサイドにいるのだが、そのとき
もし今回のようにお客様の目に触れるのであるならば
もっと佇み方にも気を配らねばと思った。
あと、私は演奏中タオルが必需品なのだが、黒に統一
したのならタオルも黒がいいと。今度探しに行く予定。
演奏面について。
言い訳のようだが、髪の毛が口の中に入り唇の振動を妨げる。
途中音を完全に外したのが4回、4回もあった。
プロ失格である。ライブもレコーディングもほぼ同じテンションで
やっているが、普段のトレーニングやテンションの持って行き方も
含めてイコールとなっていくように、そして、基本、ライブ感を
失わないようにしていかなくてはならない。
そうなっていかないと、「即興演奏家」の看板は下げなくては
ならないだろう。ベースとして「変わらぬクオリティ」これが重要だ。こんなことは当たり前であるが・・・
前回エコロケーションでのライブでの反省でロングディレイの
消し方について今回のライブで実践してみた。これは実際に
リファインドではあるが音楽の体を少し変更することから入る。
そしてタイミングを見計らう。そこについてはとてもきれいに
できていたと思う。
あとディレイタイムをすこし少な目にしたのも正解。
次回においても活かされるであろう。
激痛に耐えながらでの演奏の際、やはり大事なのは
呼吸、そして息のスピードと瞬発力、ここにすべてがかかっている。
今回若干無理をしたが、だがそれでも普段のトレーニングが
とてもよく活かされていた。ジャズトランペッターのように
ハイノートを出すことができないためフレージングが命なのだが
じゅんじゅんさんのジャズノートなピアノアンビエントのおかげで
とても気持ちよくいいフレーズが自然と出てきた。
これはジュンジュンさんのハーモニーやボイシングのセンスのおかげだ。
テンションや上手い転回音程の使い方で音楽全体ががらりと変わる。
まさにそこにぴったりとはまったフレーズだったと思う。
私のトランペットの特殊奏法もマンネリ化してきている。
それはもうとっくの昔からだ。BGMの3曲目の「To Landscape」
ですべて出し切ったので、次の音色の模索をもうはじめなければならない。
そこが生命線のような気がしてならない。
黄色の人全体について。
箇条書きとする。
・トラックはつなげる
・事前にスタジオで「ライブの手触り」を確認する。
(可能な限り会場の広さ、空間、環境に近い状態で。)
・見せ方の追究
このあたりが課題だと考える。
■ryu furusawa
フレンチな和声を含んだピアノから始まった。譜面があったので
即興ではなく作曲であると判断。途中ハーモニーの展開で
少しだけ違和感を感じるところがあったが、とてもさりげない
違和感であったので狙いとみた。楽曲の流れからそれらが
エフェクトを通じて変調されていく。私は詳しくないのだが
MAXMSP/JITTERを使用しているとのこと。友人も12音列を作る際
MAXにやらせているとのこと。途中経過が記憶からなくなって
しまっているのだが、一部コンクレートのプロトタイプのような
ノイズのフレーズがあり、これがもしかしたらMAXMSP/JITTERに
よるものなのだろうか?残念ながら私にはわからなかった。
前半のVJと音楽のコンビネーションはまるで映画のような
手触りだった。私はこのあたりは個人的には好きである。
ただ、ピアノは最初からマイクの音に残響を加えたものを
出していったほうがより空間の一体感を得られると思った。
ラスト近くでノコギリテルミンを持ってきたのは正解。
「緩やかな意外性」といえばよいのだろうか、そのような
感触が言葉として残っている。
中間部分にもう少し音の変化を「見せる」だけではない
音楽的な工夫があれば更に良かったと思う。
■柳本 和宏
暗転のままでのライブ。彼の元々持ち合わせたクールさ、
これが演奏スタイル、たたずまいにも活きていると感じた。
電子機器のノイズを発生させてサンプリング、加工した作品。
だが、音(音色)の追跡をしてみると音楽的なストーリーが
きちんと存在した、単に音響ではない「音楽作品」としての体を
成していた。その裏側ではフラグメントの扱い方、そして処理、
そこからはじまり、周波数を活かした展開、構成、
コンポーザーとしての非常に高い能力を私は感じた。
音の変調や処理にも時間はかかったであろうが、
おそらく構成、コンポジションにもかなり時間と考察の跡が
感じられる。
途中私も寝そべって聴いていた。そういう心地よさは
計算であるのかもしれない。
様々な「手触り」がある音、一番重要なのはそれらの音を
いかにコンポジションしていくのか?ということを改めて
再認識させられた。
■ライブ全体と提案
ノイズであるとかポピュラーミュージックではないカテゴリーに
特化したライブ、そこにあるものが単にマニアックであるという
だけではないことが重要だと思った。出すべき場所にきちんと
持っていけること、このことが社会に浸透させることを可能とする。
例えば、ハコというのではなく、「ライブインスタレーション」
或いは「インスタレーション」という「立場」をとってみる、
など、見せ方の可能性は広がっていくと思う。
例えば大きい場所でやる場合、機材の転換をせずに演奏をつなぐ形にする。
円形に組んでお客様に向きを変えていただきながら楽しむ、
そういう空間が作れれば、単にアーティストのライブ
ではないライブトータルとしての価値が増大されて
ひとつの巨大な作品になることができる。
この類の音楽(今回のイベント)はもっとアカデミズムの中にも
浸透させたほうがよりよいチャンスに恵まれると思う。
その交渉やマネジメントも追究していくことが大切だと思った。
要は、勿体無いのである。もっと広がる可能性をもった
クオリティの高いアーティストばかりで組まれているのだから
そこを活かせる方法はないだろうか?と考える。
今回オーガナイズされた川染さん、とても丁寧な運びと
気遣い、そしてアーティストの選択、会場作りの、
お客様に対しての気配り、本当にお疲れ様でした。
その気持ちは出演者にも充分伝わっています。
このイベントが大きな場所にいけるように願っております。
以上、ライブレビューでした!
2009年07月28日
舞台、ステージとしてのクオリティ
Echolocationのライブ後の反省。
この間の自分たちのライブについて反省をしたのだが
音楽の完成度やクオリティは当たり前のこととして
それ以外にやっぱり舞台に立つ、ステージをやる
ということに対してもっとクオリティを上げていかなくてはと
改めて自分たちの演奏やステージを客観ではなく、
「可能な限り確実な主観」として考えた。
どんな空間でもそこにきちんとしたディレクションがあれば
空間はひき締まる。それがないからぐちゃぐちゃになってしまう。
クールな路線のほうが僕らのユニットには合うということが
この間よくわかったのでステージングをもう一度考え直そうと。
ミュージシャンは演奏しているだけではダメでそこに
映画の中にいるような、そういう存在感を出さなくてはダメだ。
かなり前、横浜黄金町バザールでのライブは音を中心に
ダンスの振り付けまでやった。結局即興がいい、といわれたので
許してしまったのだが、まあ信頼できるダンサーだったので任せた。
結果100%ではなかったがお客様の満足度はあっただろう。
僕はステージをスクリーンだと思っています。
なぜ?映画のロケ地ツアーとかそういうのがあるのか?
それはいい映画であるからなのだけどそれだけでなく
映画というファンタジーの中に存在するリアリティ、
ここに大きな憧れがあるからだと思う。
だとしたら、ライブ、演奏者はある意味俳優でなければならない。
相方のマサさんはルックスも最高だしやっぱりかっこいい、
もっと余裕が出てきたらすごいフェロモンを出すんだろうな〜と。
僕は出来るだけ顔を隠さないと(笑)
あと、痩せないと(笑)
音以外の部分でもっと全体的なたたずまいとか立ち姿とか
そういうところにこだわっていくべきだろう。
ステージで演奏する僕らはスクリーンの中の主人公なのだ。
そうなりきれたとき、はじめてトップアーティストの仲間になれるのだと。
そして無意識にできるようになれば最高だ。
だから僕らは楽器を演奏することに集中しなければならない。
そう思う。
先日レーベルのイベントでみてきたDJ、バンド、ユニット、
メジャーであったりメジャー予備軍であったりするのだけど
積み重ねてきたアーティストは何もかもが洗練されててすごい!
業界に躍り出ようとしているアーティストは何もかもがまったく違う。
DJも完全なるステージだ。今までのはなんだったんだろう???
そういうちょっとした敗北感さえ感じた。
メジャーはつまらない、作られたもの、とか言う人もいるかもしれない。
確かにでっちあげ?のようなものもあるかもしれないけれど
でもその中でやっぱり鍛えられて、揉まれて完成度を上げたものは
やっぱり何かが圧倒的に違うと思う。
やりたいことはなかなかできないものかも。
現にある人はやりたいことと、ビジネスの間でもまれて苦しんでいるし
でもその中から見つける地平だってあるのだ。
本当にこれが自分のやりたいことっていうのを思い切りやれるように
なるには、やはりきちんと積み重ねていかなくては
いい形にならないのでは?と思うようになった。
そんなに世の中甘くないですよ(笑)
僕ももっと「既存ではない」舞台という空間を勉強したいって思います。
この間の自分たちのライブについて反省をしたのだが
音楽の完成度やクオリティは当たり前のこととして
それ以外にやっぱり舞台に立つ、ステージをやる
ということに対してもっとクオリティを上げていかなくてはと
改めて自分たちの演奏やステージを客観ではなく、
「可能な限り確実な主観」として考えた。
どんな空間でもそこにきちんとしたディレクションがあれば
空間はひき締まる。それがないからぐちゃぐちゃになってしまう。
クールな路線のほうが僕らのユニットには合うということが
この間よくわかったのでステージングをもう一度考え直そうと。
ミュージシャンは演奏しているだけではダメでそこに
映画の中にいるような、そういう存在感を出さなくてはダメだ。
かなり前、横浜黄金町バザールでのライブは音を中心に
ダンスの振り付けまでやった。結局即興がいい、といわれたので
許してしまったのだが、まあ信頼できるダンサーだったので任せた。
結果100%ではなかったがお客様の満足度はあっただろう。
僕はステージをスクリーンだと思っています。
なぜ?映画のロケ地ツアーとかそういうのがあるのか?
それはいい映画であるからなのだけどそれだけでなく
映画というファンタジーの中に存在するリアリティ、
ここに大きな憧れがあるからだと思う。
だとしたら、ライブ、演奏者はある意味俳優でなければならない。
相方のマサさんはルックスも最高だしやっぱりかっこいい、
もっと余裕が出てきたらすごいフェロモンを出すんだろうな〜と。
僕は出来るだけ顔を隠さないと(笑)
あと、痩せないと(笑)
音以外の部分でもっと全体的なたたずまいとか立ち姿とか
そういうところにこだわっていくべきだろう。
ステージで演奏する僕らはスクリーンの中の主人公なのだ。
そうなりきれたとき、はじめてトップアーティストの仲間になれるのだと。
そして無意識にできるようになれば最高だ。
だから僕らは楽器を演奏することに集中しなければならない。
そう思う。
先日レーベルのイベントでみてきたDJ、バンド、ユニット、
メジャーであったりメジャー予備軍であったりするのだけど
積み重ねてきたアーティストは何もかもが洗練されててすごい!
業界に躍り出ようとしているアーティストは何もかもがまったく違う。
DJも完全なるステージだ。今までのはなんだったんだろう???
そういうちょっとした敗北感さえ感じた。
メジャーはつまらない、作られたもの、とか言う人もいるかもしれない。
確かにでっちあげ?のようなものもあるかもしれないけれど
でもその中でやっぱり鍛えられて、揉まれて完成度を上げたものは
やっぱり何かが圧倒的に違うと思う。
やりたいことはなかなかできないものかも。
現にある人はやりたいことと、ビジネスの間でもまれて苦しんでいるし
でもその中から見つける地平だってあるのだ。
本当にこれが自分のやりたいことっていうのを思い切りやれるように
なるには、やはりきちんと積み重ねていかなくては
いい形にならないのでは?と思うようになった。
そんなに世の中甘くないですよ(笑)
僕ももっと「既存ではない」舞台という空間を勉強したいって思います。
言霊 音霊
言霊、言葉に宿る魂。
音霊、音に宿る魂。
でも、思います。言霊も音霊も言葉や音に宿るのではなく
それらを受け止めた人たちの中にあるものが姿をあらわすもの、
僕はそう思っています。
だから響くものもあれば響かないものもある。
多くの人に響くこともあれば
ほんの数人にしか響かないことだってある。
でも、自分の中にある言霊、音霊の素が
皮膚の外に出て、それが自分ではない人間のところに
入り込んでチューニングメーターのように
ぴったり合うこと、これほど素晴らしいことはないだろう。
以前、共振について書いた。
ドミソが純正率でぴったり合うと各音量は変わらないのに
振幅が増えて自然と音量があがる。
これは共振だ。ワイングラスが声で割れてしまう原理だ。
目に見える共振、でも言葉や人間を介した共振は目にみえない。
耳にすることもできない。そこに面白さがあるのだと。
以前僕は、創作において「わかりやすさ」を
避けようとしていた時期があった。
よりシステマティックな手法でひねっていることが楽しかった。
伝わるものとは(言いたいこと)受け止める側にも
似たようなものがなければ伝わらない。
でも、必ずどこかにある、それを探すためにこじ開けて?いく。」
そうすることによって伝わるようになってくる。
見せ方、書き方、言い方、聞かせ方なのだと。
だけど、発する側にその素が不明瞭だったり、なかったりすれば
どんなに見せ方書き方などをうまくしても伝わらない。
人の心の中に染み込んでいくのはとても難しい。
でも、だからその分伝わればとてもうれしい。
表面上の「わかりやすい、わかりにくい」は問題ではなく
その核となっているものがどのように出てくるのか?
ここが大切だと僕は思います。
音霊、音に宿る魂。
でも、思います。言霊も音霊も言葉や音に宿るのではなく
それらを受け止めた人たちの中にあるものが姿をあらわすもの、
僕はそう思っています。
だから響くものもあれば響かないものもある。
多くの人に響くこともあれば
ほんの数人にしか響かないことだってある。
でも、自分の中にある言霊、音霊の素が
皮膚の外に出て、それが自分ではない人間のところに
入り込んでチューニングメーターのように
ぴったり合うこと、これほど素晴らしいことはないだろう。
以前、共振について書いた。
ドミソが純正率でぴったり合うと各音量は変わらないのに
振幅が増えて自然と音量があがる。
これは共振だ。ワイングラスが声で割れてしまう原理だ。
目に見える共振、でも言葉や人間を介した共振は目にみえない。
耳にすることもできない。そこに面白さがあるのだと。
以前僕は、創作において「わかりやすさ」を
避けようとしていた時期があった。
よりシステマティックな手法でひねっていることが楽しかった。
伝わるものとは(言いたいこと)受け止める側にも
似たようなものがなければ伝わらない。
でも、必ずどこかにある、それを探すためにこじ開けて?いく。」
そうすることによって伝わるようになってくる。
見せ方、書き方、言い方、聞かせ方なのだと。
だけど、発する側にその素が不明瞭だったり、なかったりすれば
どんなに見せ方書き方などをうまくしても伝わらない。
人の心の中に染み込んでいくのはとても難しい。
でも、だからその分伝わればとてもうれしい。
表面上の「わかりやすい、わかりにくい」は問題ではなく
その核となっているものがどのように出てくるのか?
ここが大切だと僕は思います。
2009年05月29日
「ヴァギナ モノローグス」手話×朗読
公演前勝手な思い込みレビュー&私見
手話と朗読によるシンプルな芝居
「ヴァギナ モノローグス」がこの夏に公演が
六本木俳優座劇場にて行われる。
詳細はこちらをごらんください。
http://www.sapazn.net/TVM.html
この芝居の朗読に西田夏奈子さんが出演、そして制作に
廣川麻子さんがいる。共に友人である。
「アメリカ人作家のイヴ・エンスラーが、年齢、人種、職種
様々な女性にヴァギナについての記憶や思いをインタビューした
モノローグ芝居。ユーモアとペーソスを交えて語られるセックス
出産、オーガスムなどなど、おかしくも切ないエピソードの数々・・・」
という言葉がフライヤーに記されている。
勉強不足な僕はどういう感じになるとか、詳細が把握しにくいのだが
興味深いのは、やはり手話と朗読というコンテンツの絞込み、
そしてその内容をどのように縦横無尽に表現していくのか?
そして舞台空間をどのように演出していくのか?
(単に時間軸、空気、構成という意味ではなく)
空間の周波数をどのようにして超えていくのか?
これらのことにとても関心がある。
そしてもちろんスタッフは全員女性。
そのことからも公演に大きな
「一体感」を求めようとする姿勢がうかがえる。
フライヤーにも単に「芝居」「演劇」ではなく
きちんと「手話×朗読」としているところで
公演に興味を持つお客様にもとても伝わりやすい表記だ。
「×(かける)」プラスではなく掛け算であることも
演出、プロデューサーの心意気を感じる。
そしてフライヤーのデザインが美しい。
男性女性、そういう「性」を超えたところに到達したいのは人間の理想だ。
だが、身体の自由さ、不自由さ、心の自由さ、不自由さ、
そしてその時間差、温度差、男性は女性に接してて
決してセックスだけでなくそのようなことを感じるはずだし
女性は男性に対して理解されなかったりすることに苛立ちを感じる
こともあるだろう。
感情の束縛が感性の束縛を招き、そこに生まれる軋轢が
人間として、共生している男女、というふたつしかない性を
分断してしまう。
またその逆はあまりありえないこととして一般的な
常識と「化」されてしまう。
時間差は「過去」として扱われ、温度差はそのまま心身へと移行する。
その繰り返しが自由、不自由の境界線すら盲目にしてしまっている
ことも大いにありうるのだ。そしてそのことに気がつかないふりをする。
だからきっと「性」を超えたところに到達したいという理想が
生まれるのでは?と思っている。
ヴァギナ、女性器、身体のパーツ、単純にそう捉えきれないところが
人間だろうし、それが人間として生きていくことの面白さであり
醍醐味でもあると僕は思う。
いつも、受け入れることが、包み込むことがほとんどの女性、
その中で多くの女性は何を感じ、思い、したのだろうか?
「悲しい性」と比喩されがちなこのテーマだが
きっと隠されたところにある意味の面白さを内包しているに
違いないだろうと僕は推測する。
それがどこに出てくるのか?
様々な人間ドラマという軽いものではなく
リファインドな部分からトータルへと導く鍵を探す楽しみもある
今回の公演、内容は乞うご期待。
あと、まったくの私見(1)だが、
もし人間にオーガスム(例えば、ありえないが身体だけでの)
そしてそれが特に性器を介して得るオーガスム(狭い意味での)
これがもし存在していなかったら
人間はここまでシンプル且つ複雑な感情を得ることはないだろうし
果たして人間として、人として、或いは生き物として
どのような生物になっていただろうか?
そのことを考えるのだが、とてもイメージしにくいのだ。
そしてまた私見(2)(笑)
男性は心して観にいくように(笑)
僕も襟を正して観にいきます。
そして私見(3)
人間は多くの場面において満たされてはならないし、
満たしてもいけない。
ちょっと意地悪なのだが…
お時間ございます方、おすすめです。
ご覧くださいませ。
2009年01月02日
即興演奏
テレビの画面に「即興演奏、インプロヴィゼーション」
と堂々と出た。いつも見慣れてる言葉が
テレビの画面に出るといささかびっくりするものだ。
小曽根さんの生演奏をまだ一度も聴いていないのに
何も言えた義理ではないが、
本当に救われた。あの音楽に救われた。
最初の音がCから始まったときそしてその次とその次の跳躍した音、
そこからもういろんなものが見えてきて脳内で風景や象徴されるものが
めくるめく変わっていった。
即興だから素晴らしいのではなく
その音楽が素晴らしいのだ。
音楽はこうでなくてはならない、そう思った。
そして即興とはこうあるべきなのだと思った。
聴きながら自分も頭の中でピアノに合わせて演奏していた。
でも脳内ですらついていけないところがたくさん出てきて
これが実際の演奏だとしたら恐ろしいくらい・・・
美しくダイナミックでやさしくて、それでいて
まったく隙がない。
感動の演奏だった。
頭がグジャグジャのムチャクチャになって叫びも声にならない、
そんなときに聴いたあのピアノ即興。
一気に救われた。これが答えじゃないの?といわんばかりに
一気に目の前が開けた。
音楽とは本当にすごい力を持っているのだなぁと
改めて実感した。
今日吹き初めしたものは即興だが
1音目はC、2音目はB♭と決めていた。
実はとても緊張した。今まで緊張したことなかったのに
今日は緊張というか襟を正す気持ちだった。
3重奏は瞬間作曲でやったのだが
まったくダメだった。
おそらくまた自分の中で新しい基準ができたからだと思う。
思い切りやらなくてはならないのだけど
下手に音を出してはいけない。
自分の中に新しい(自分にとって)基準ができたことは
とてもうれしい。それをクリアしていけばまたもっと上手になれる。
というか瞬間作曲なんて意味がない。
それこそ当たり前のことだから。
あのピアノ演奏のタイトルが「即興、インプロヴィゼーション」
と堂々と出てしまった限り僕は瞬間作曲の看板を下ろすべきだと
今ちょっと思っている。
そう、もっと素晴らしい音楽を目指すために、
出発が経過がどろどろなものが多かった、
そこから脱出するために瞬間作曲が必要だった。
でもよくないところから始まった、そこから出たものは
やっぱり稚拙なのだ。
瞬間作曲を語らなくても完全に切り離して別物に生まれ変われば
即興演奏と堂々と言える。そこで素晴らしい音楽を目指せばいいのだ。
と今思ってる。
瞬間作曲の仕組みを一生懸命考えたとき
基準はよくない即興をどうするか?がベースだった。
だからつまらないのだ。
即興は関係なくていい音楽を出していくために、
ということをやっていけばいい。
そのために必要なことを勉強していけばいい。
耳を鍛えていけばいい。
瞬発力を養えばいい。
そう考えると今までずいぶんとつまらないことやものに
振り回されてきたなぁ・・・
とちょっと反省。
でもこれからはきちんとはっきり発言はしていこうかなと。
素晴らしいものは素晴らしい、
ダメなものはダメ、
今までダメなものまでよしとしていたから
こんなにめちゃくちゃになってしまった。
まあ社交辞令はあるけど、言い方もあるけど
でも意思表示ははっきりしようかなと。
全身全霊をかけたひとつの音楽、
本当に救われた。
感謝!
と堂々と出た。いつも見慣れてる言葉が
テレビの画面に出るといささかびっくりするものだ。
小曽根さんの生演奏をまだ一度も聴いていないのに
何も言えた義理ではないが、
本当に救われた。あの音楽に救われた。
最初の音がCから始まったときそしてその次とその次の跳躍した音、
そこからもういろんなものが見えてきて脳内で風景や象徴されるものが
めくるめく変わっていった。
即興だから素晴らしいのではなく
その音楽が素晴らしいのだ。
音楽はこうでなくてはならない、そう思った。
そして即興とはこうあるべきなのだと思った。
聴きながら自分も頭の中でピアノに合わせて演奏していた。
でも脳内ですらついていけないところがたくさん出てきて
これが実際の演奏だとしたら恐ろしいくらい・・・
美しくダイナミックでやさしくて、それでいて
まったく隙がない。
感動の演奏だった。
頭がグジャグジャのムチャクチャになって叫びも声にならない、
そんなときに聴いたあのピアノ即興。
一気に救われた。これが答えじゃないの?といわんばかりに
一気に目の前が開けた。
音楽とは本当にすごい力を持っているのだなぁと
改めて実感した。
今日吹き初めしたものは即興だが
1音目はC、2音目はB♭と決めていた。
実はとても緊張した。今まで緊張したことなかったのに
今日は緊張というか襟を正す気持ちだった。
3重奏は瞬間作曲でやったのだが
まったくダメだった。
おそらくまた自分の中で新しい基準ができたからだと思う。
思い切りやらなくてはならないのだけど
下手に音を出してはいけない。
自分の中に新しい(自分にとって)基準ができたことは
とてもうれしい。それをクリアしていけばまたもっと上手になれる。
というか瞬間作曲なんて意味がない。
それこそ当たり前のことだから。
あのピアノ演奏のタイトルが「即興、インプロヴィゼーション」
と堂々と出てしまった限り僕は瞬間作曲の看板を下ろすべきだと
今ちょっと思っている。
そう、もっと素晴らしい音楽を目指すために、
出発が経過がどろどろなものが多かった、
そこから脱出するために瞬間作曲が必要だった。
でもよくないところから始まった、そこから出たものは
やっぱり稚拙なのだ。
瞬間作曲を語らなくても完全に切り離して別物に生まれ変われば
即興演奏と堂々と言える。そこで素晴らしい音楽を目指せばいいのだ。
と今思ってる。
瞬間作曲の仕組みを一生懸命考えたとき
基準はよくない即興をどうするか?がベースだった。
だからつまらないのだ。
即興は関係なくていい音楽を出していくために、
ということをやっていけばいい。
そのために必要なことを勉強していけばいい。
耳を鍛えていけばいい。
瞬発力を養えばいい。
そう考えると今までずいぶんとつまらないことやものに
振り回されてきたなぁ・・・
とちょっと反省。
でもこれからはきちんとはっきり発言はしていこうかなと。
素晴らしいものは素晴らしい、
ダメなものはダメ、
今までダメなものまでよしとしていたから
こんなにめちゃくちゃになってしまった。
まあ社交辞令はあるけど、言い方もあるけど
でも意思表示ははっきりしようかなと。
全身全霊をかけたひとつの音楽、
本当に救われた。
感謝!
2009年01月01日
あけましておめでとうございます。
新年 あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
シルベスターのコンサートでの小曽根真さんの
ピアノ即興にすくわれた2009年の始まりでした。
これからも素晴らしい音楽を目指して精進していきます。
よろしくお願いいたします。
小西徹郎
本年もよろしくお願い申し上げます。
シルベスターのコンサートでの小曽根真さんの
ピアノ即興にすくわれた2009年の始まりでした。
これからも素晴らしい音楽を目指して精進していきます。
よろしくお願いいたします。
小西徹郎
2008年12月01日
2008年11月30日
お知らせ
皆様こんにちは。
寒い日が続きますがいかがおすごしでしょうか?
12月6日土曜日に港区のエコプラザにて18時頃より
私が参加させていただいております
「枯山水サラウンディング」の演奏がございますので
謹んでお知らせさせていただきます。
〜サステナブルデザイン国際会議前夜祭〜
エコプラザ「音林浴」サラウンディング&ライブ
◎日時:12月6日(土)18:3020:00
◎場所:港区立エコプラザ
◎入場無料/申込不要
◎お問合せ:03-5404-7764(港区立エコプラザ)
港区立エコプラザに誕生した音の森。
現実の森の中にいる感覚というよりも、
現実の森の中にいる以上にリアルな感覚を呼び覚まします。
公共空間におけるサウンドスケープの試みとして
画期的な一歩を記した枯山水サラウンディングによる「音林浴」。
そのお披露目を兼ねて、また翌日エコプラザで開幕する
サステナブルデザイン国際会議のレセプションを兼ねて、
初のライブパフォーマンスイベントを行ないます。
今回は日本サウンドスケープ協会常任理事で
音をテーマにした環境デザインなど大きく活動されていらっしゃる
鳥越けい子先生をお迎えしてディスカッションもございます。
http://www.keitori.net/profile/index.html
また、演奏などもNHKラジオに収録予定でございます。
こちらもぜひごらんください。
http://eco-plaza.net/schedule/2008/12/06/20081206_onrinyoku_live.html
冬の夕方、とても寒い時間帯ではありますが
興味のおありの方はぜひいらしてくださいませ。
港区エコプラザ
http://eco-plaza.net/
場所(地図)
http://eco-plaza.net/map/
●JR浜松町駅北口下車4分
●都営地下鉄大門駅B1出口下車3分
港区立エコプラザ
〒105-0013 港区浜松町1−13−1
TEL.03-5404-7764 FAX.03-5404-7765
●枯山水サラウンディングとは?
音楽家/音響エンジニア/プログラマー/デザイナーなど
様々なフィールドのアーティストが集まり結成した、
「人」と「環境」と「音」の関係を新たな視点で提案するプロジェクト。
音の扱いを作庭術「枯山水」になぞらえ、先端のマルチメディア技術、
独自開発した音響処理技術を応用し、公共空間に「音の人口庭園」
を現出させる。2007年には東急多摩川線の全駅を会場とした
パブリックアート・プロジェクト
「多摩川アートラインプロジェクト・アートラインウィーク2007」
に参加。多摩川駅構内にサラウンド・インスタレーション作品
「八水響」を設置し大きな話題を呼んだ。
http://www.kare-san-sui.com
Creative Director 内田 学 Gak Uchida
作曲を水野修孝に師事し、元YMOの細野晴臣のレコーディング・
アシスタント等を経て、1996年にファースト・アルバムをリリース。
国内外のメディアに紹介され大きな反響を呼ぶ。
その後アジア、ヨーロッパを中心に世界各国を放浪。
7年間の沈黙の後、セカンド・アルバム『The Myth And i』が
日、欧、米と世界発売される。国内外での公演を精力的にこなす一方、
KEN ISHIなどを筆頭に数々のリミックスや角川映画等のサントラ、
プロデュース等を手がける。
自らの活動のかたわら2007年に「枯山水サラウンディング」
を立ち上げ、クリエイティヴ・ディレクターを務める。
Trumpet 小西徹郎 Tetsuroh Konishi
こちらを参照
http://music.geocities.jp/tetsuroh2003/aboutme.html
皆様のお越しを心よりお待ちいたしております。
小西徹郎
寒い日が続きますがいかがおすごしでしょうか?
12月6日土曜日に港区のエコプラザにて18時頃より
私が参加させていただいております
「枯山水サラウンディング」の演奏がございますので
謹んでお知らせさせていただきます。
〜サステナブルデザイン国際会議前夜祭〜
エコプラザ「音林浴」サラウンディング&ライブ
◎日時:12月6日(土)18:3020:00
◎場所:港区立エコプラザ
◎入場無料/申込不要
◎お問合せ:03-5404-7764(港区立エコプラザ)
港区立エコプラザに誕生した音の森。
現実の森の中にいる感覚というよりも、
現実の森の中にいる以上にリアルな感覚を呼び覚まします。
公共空間におけるサウンドスケープの試みとして
画期的な一歩を記した枯山水サラウンディングによる「音林浴」。
そのお披露目を兼ねて、また翌日エコプラザで開幕する
サステナブルデザイン国際会議のレセプションを兼ねて、
初のライブパフォーマンスイベントを行ないます。
今回は日本サウンドスケープ協会常任理事で
音をテーマにした環境デザインなど大きく活動されていらっしゃる
鳥越けい子先生をお迎えしてディスカッションもございます。
http://www.keitori.net/profile/index.html
また、演奏などもNHKラジオに収録予定でございます。
こちらもぜひごらんください。
http://eco-plaza.net/schedule/2008/12/06/20081206_onrinyoku_live.html
冬の夕方、とても寒い時間帯ではありますが
興味のおありの方はぜひいらしてくださいませ。
港区エコプラザ
http://eco-plaza.net/
場所(地図)
http://eco-plaza.net/map/
●JR浜松町駅北口下車4分
●都営地下鉄大門駅B1出口下車3分
港区立エコプラザ
〒105-0013 港区浜松町1−13−1
TEL.03-5404-7764 FAX.03-5404-7765
●枯山水サラウンディングとは?
音楽家/音響エンジニア/プログラマー/デザイナーなど
様々なフィールドのアーティストが集まり結成した、
「人」と「環境」と「音」の関係を新たな視点で提案するプロジェクト。
音の扱いを作庭術「枯山水」になぞらえ、先端のマルチメディア技術、
独自開発した音響処理技術を応用し、公共空間に「音の人口庭園」
を現出させる。2007年には東急多摩川線の全駅を会場とした
パブリックアート・プロジェクト
「多摩川アートラインプロジェクト・アートラインウィーク2007」
に参加。多摩川駅構内にサラウンド・インスタレーション作品
「八水響」を設置し大きな話題を呼んだ。
http://www.kare-san-sui.com
Creative Director 内田 学 Gak Uchida
作曲を水野修孝に師事し、元YMOの細野晴臣のレコーディング・
アシスタント等を経て、1996年にファースト・アルバムをリリース。
国内外のメディアに紹介され大きな反響を呼ぶ。
その後アジア、ヨーロッパを中心に世界各国を放浪。
7年間の沈黙の後、セカンド・アルバム『The Myth And i』が
日、欧、米と世界発売される。国内外での公演を精力的にこなす一方、
KEN ISHIなどを筆頭に数々のリミックスや角川映画等のサントラ、
プロデュース等を手がける。
自らの活動のかたわら2007年に「枯山水サラウンディング」
を立ち上げ、クリエイティヴ・ディレクターを務める。
Trumpet 小西徹郎 Tetsuroh Konishi
こちらを参照
http://music.geocities.jp/tetsuroh2003/aboutme.html
皆様のお越しを心よりお待ちいたしております。
小西徹郎



